中国医学の根源はどこにあるのか 2
2011年02月25日
前回より、中国医学とは何かの検証を始めました。またまた今まで以上に訳分からんっていう内容です。でも、このことを避けて通ると、鍼灸治療とはどんな医療なのかを考えることが出来なくなります。ややこしいですが、ゆっくり私なりに論を進めてみたいと思います。
【本文】
古代中国人が、
1.「身体」をどのように捉えたのか
2.「身体」の異常をどのように考えたのか
3.中国で発達した医学とは何か
を、検証したい。「中国の医学」が、どのようなものであるのかということを考え、地球人類に対し、より有効な「医学」・「医療」を提供するための礎となる論を推し進めることが本文の目的である。
そのためには、古代中国人の思想を検討する必要があると考える。まず、「古代」の時代区分を何時にするかという点について、私見を述べる。時代区分については、見解が様々である。
主に、「中国歴史学」・「中国思想史」・「中国医学史」の立場でそれぞれ異なっている。
第一に、「中国歴史学」の時代区分では、古代・中世・近世という三分法がとられることが多い。宮崎市定は、三分法にも三種の別があると述べている。その1は「古代=上古~戦国末、中世=秦漢~明末、近世=清初~現代」とする守屋美都雄の説である。
その2は「古代(あるいは上古)=太古~後漢、中世(あるいは中古)=後漢~五代、近世=宋以降」とする内藤湖南の説である。
その3は「古代=上古~唐末、中世=宋~明末、近世=明末~現代」とする説である。この説は、前田直典氏が昭和二三年に「東アジアにおける古代の終末」なる論文を発表したのが最初とされている。
このほか、桑原隲蔵や那珂通世が提唱した四分法がある。それは「上古=太古~戦国末、中古=秦漢~唐末、近古=五代・宋~明末、近世=清以降」とする説である。
宮崎は「古代=太古~漢代、中世=三国末~唐末・五代、近世=宋~清代、最近世=民国以降」なる区分を唱えている。整理すると、「中国歴史学」おける古代の下限は、1.戦国末とするもの、2.後漢末とするもの、3.唐末とするものが大方の見方のようである。
(つづく)
【本文】
古代中国人が、
1.「身体」をどのように捉えたのか
2.「身体」の異常をどのように考えたのか
3.中国で発達した医学とは何か
を、検証したい。「中国の医学」が、どのようなものであるのかということを考え、地球人類に対し、より有効な「医学」・「医療」を提供するための礎となる論を推し進めることが本文の目的である。
そのためには、古代中国人の思想を検討する必要があると考える。まず、「古代」の時代区分を何時にするかという点について、私見を述べる。時代区分については、見解が様々である。
主に、「中国歴史学」・「中国思想史」・「中国医学史」の立場でそれぞれ異なっている。
第一に、「中国歴史学」の時代区分では、古代・中世・近世という三分法がとられることが多い。宮崎市定は、三分法にも三種の別があると述べている。その1は「古代=上古~戦国末、中世=秦漢~明末、近世=清初~現代」とする守屋美都雄の説である。
その2は「古代(あるいは上古)=太古~後漢、中世(あるいは中古)=後漢~五代、近世=宋以降」とする内藤湖南の説である。
その3は「古代=上古~唐末、中世=宋~明末、近世=明末~現代」とする説である。この説は、前田直典氏が昭和二三年に「東アジアにおける古代の終末」なる論文を発表したのが最初とされている。
このほか、桑原隲蔵や那珂通世が提唱した四分法がある。それは「上古=太古~戦国末、中古=秦漢~唐末、近古=五代・宋~明末、近世=清以降」とする説である。
宮崎は「古代=太古~漢代、中世=三国末~唐末・五代、近世=宋~清代、最近世=民国以降」なる区分を唱えている。整理すると、「中国歴史学」おける古代の下限は、1.戦国末とするもの、2.後漢末とするもの、3.唐末とするものが大方の見方のようである。
(つづく)