近代中国の鍼灸医学・医療の歴史 2

清野充典

2011年02月04日 16:01

 今日は、1月29日に書いた前回の続きです。話の内容は、読んだことも聞いたこともないような内容だと思います。ごく一部の人しか知らない内容です。ゆっくり何度も読み返していただければ、理解できると思います。単発で読んでもわかるかと思いますが、1月17日から読んでいただければより深い理解が可能だと思います。

 【本文】

 一八六八年の明治時代以降、中国では大量の日本書が翻訳され、中国で発達した医学の復興を目指した多くの中国人が日本に留学している。

 日本の医学者達が、一八〇〇年代(江戸時代)以後、西洋医学と東洋医学との融合を計ろうとしていた思想と当時の研究結果が受け入れられたというのがその理由であろう。

 この方針を基軸とした運動は中国新政府を動かし、一九五四年に中国で中国の伝統医学が一三二年ぶりに国家の医療として認められた。

 一九五五年に、北京で「中医研究院」が設立され、一九五六年に北京・上海・広州・成都に「中医学院」が設立される。

 以後、全国に「中医学院」が建校され、「中医学」の高等教育化が推進される。

 一九九三年には国家の基準を満たした「上海中医学院」が「上海中医薬大学」に昇格する。

 その後、漸次「中医学院」が「大学」に昇格し、二〇〇七年現在十一校が認可を受けている。

(つづく)

平成23年2月4日(金)
 清野充典 記

(ただいま 6日に一度更新中)

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