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プロフィール
清野充典
 西洋医学を理解した東洋医学者の育成を目指し設立された世界初の鍼灸医学専門教育機関「明治鍼灸短期大学(現明治国際医療大学)」鍼灸学部を1982年(昭和57年)3月に卒業。中国に留学後、東京都調布市で1987年(昭和62年)に開業。東京都での開業は卒業生第1号。アジアや欧米で行われている鍼灸医療を各国に出向き探求しているうちに、日本で行われている鍼灸医療や中国等で行われている鍼灸医療の相違に疑問を持ち研究活動を開始。東洋思想の最高学府である「大東文化大学大学院」文学研究科博士課程前期課程中国学専攻を修了。中国哲学を背景とした中国医学が日本や世界においてどの様に発展したのかを探求している。世界に共通した鍼灸医学用語を用い、医療現場に共通する鍼灸治療体系を確立することが研究目的。鍼灸学士、中国学修士。現在、順天堂大学医学部医史学研究室に研究生として在籍。医学博士の学位論文を鋭意作成中。2013年(平成25年)4月明治国際医療大学(旧明治鍼灸大学)客員教授就任。

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中国医学の根源はどこにあるのか 5

2011年03月31日

  中国医学とはなにかの検証を4回目行ってきました。中国思想を学ぶ上で、「古代」とは何時を指すのかを論証してきましたが、今日は私なりの結論を出します。それに基づいて、次回より新たな話に入っていこうと考えています。
 前回更新してから、2週間近く経過しました。平成23年3月11日(金)に発生した東北関東大震災に伴い、東京を含む広範囲な地域で計画停電が行われています。不規則な生活に対応する必要性が生じたため、ゆっくり文字を書く暇がなくなりました。
 このブログは、私の研究活動に基づく内容ですので、時間を掛けないと書けない内容です。お読みになる方も時間を掛けてお読みいただいていることと拝察いたします。
 長くゆっくりとしたお付き合いの程を、お願いいたします。

【本文】
 以上、主に「中國歷史學」・「中國思想史」・「中國醫學史」の立場で、それぞれの區分分けを檢討してきた。

 「古代」という用語は、近年一般的にかつ頻繁に用いられているが、特定された定義が無いということが解る。

 本論では、古代中國思想を背景に「中國の醫學」を檢討している立場を取っているが、醫學・醫療は、戰國末までに概ね形成されたのではないかという假説に基づき論理展開する趣旨のため、「古代」を「上古より漢代まで」と定羲して論を進めたい。

  また、「中世」は「魏~明末」、「近世」は「清初~現代」と定羲する。

(つづく)  


  • 中国医学の根源はどこにあるのか 4

    2011年03月17日

     中国医学とはなにかの検証を始めて4回目です。最初から本文をお読みいただけますと、書いてある趣旨がお分かりいただける内容となっております。つまり、電子図書のような感覚をお持ちいただけると結構かと思います。
     今回書いている内容は、過去3回分からお読みいただいても、お分かりいただける内容となっております。
     中国思想を学ぶ上で、「古代」とは何時を指すのかを論証しています。
     時代を表す視点として、「中国歴史学」・「中国思想史」・「中国医学史」の観点から検証してみています。「中国歴史学」・「中国思想史」の視点ですでに論じました。今回は「中国医学史」の視点から論じています。
     なお、前回より、本文の漢字は、正字(旧漢字)のままで論じさせていただいております。

    【本文】
     第三に、「中國醫學史」の時代區分では、陳邦賢が「上古=周秦、中古=両漢・魏晋~隋・唐・宋・金元、近世=明・清、現代」と區分した。

     北京中醫學院では、「原始社会=太古~前二二世紀、奴隷社会=夏~商、封建社会(Ⅰ=西周~後漢末、Ⅱ=魏晋~五代、Ⅲ=宋~元、Ⅳ=明~阿片戰争)、半植民地半封建社会=鴉片戰争~中華人民共和国」と區分している。

     周凤梧は、「原始時代=遠古~紀元前2206年、夏・商=紀元前2206~前1135年、西周・春秋・戰国=紀元前1134~前247年、秦・漢=紀元前246~紀元219年、魏・晋・南北朝=紀元220~588年、隋・唐・五代=紀元589~959年)、宋・金・元=紀元960年~1367年、明・清=紀元1268~1911年、中華民国=紀元1912~1949年、中華人民共和国=紀元1949年始」と區分している。

     傳維康は、「原始社会の医療活動=太古~BC二十一世紀、夏~春秋時代の中国医学=BC二十一世紀~BC四七六年、戦国~後漢時代の中国医学=BC四七五年~AD二二〇年、魏・晋・南北朝の医学=二二〇年~五八一年、隋・唐・五代期の医学=五八一年~九六〇年、宋・金・元代の医学=九六〇年~一三六八年、明代の医学=一三六八年~一六四四年、清代の医学=一六四四年~一九一一年」と區分しており、中國では統一した區分が見られない。

     日本に於いて「中國醫學史」を體系化したものはまだ發表されていないと近年丸山敏秋は言っているが、それ以降も體系化はされていない。

    (つづく)

      


  • 中国医学の根源はどこにあるのか 3

    2011年03月06日

     中国医学とはなにかの検証を始めています。今日はその3回目です。前回、前々回の内容をお読みになった後、今回のブログをお読みいただきたいと思います。中国思想を学ぶ上で、古代思想は重要ですが、では「古代」とは何時を指すのかを論証しています。
     時代を表す視点として、「中国歴史学」・「中国思想史」・「中国医学史」の観点から検証してみています。前回は、「中国歴史学」の視点から「古代」を論じました。今回は、「中国思想史」の視点から論じています。
     なお、前回まで、本文の漢字は、現在用いられている簡体字に変換して論を述べていましたが、今回より正字(旧漢字)のままで論じさせていただきます。

    【本文】

     第二に、「中國思想史」の時代區分では、先秦・両漢・魏晋南北朝・隋唐五代・宋元明・清・民國以降と區分されることが多いようである。

     武内義雄は「上世期〔上〕=諸子時代(春秋末~前漢景帝)、上世期〔下〕=經學時代(前漢武帝~後漢)、中世期=三教交渉の時代(三國~唐玄宗)、近世期=儒教革新の時代(唐肅宗~現在)」と區分しているが、明確な區分について言及していない。
     
     「古代」は、多くの本で用いられているが、明確な定義を述べているものは見當たらない。

     自分なりに整理すると、1.上古より戰國末とするもの、2.漢初までとするもの、3.後漢末とするものの三種類を主に擧げられると考えられる。

    (つづく)  


  • 中国医学の根源はどこにあるのか 2

    2011年02月25日

     前回より、中国医学とは何かの検証を始めました。またまた今まで以上に訳分からんっていう内容です。でも、このことを避けて通ると、鍼灸治療とはどんな医療なのかを考えることが出来なくなります。ややこしいですが、ゆっくり私なりに論を進めてみたいと思います。

    【本文】

     古代中国人が、

      1.「身体」をどのように捉えたのか

      2.「身体」の異常をどのように考えたのか

      3.中国で発達した医学とは何か

    を、検証したい。「中国の医学」が、どのようなものであるのかということを考え、地球人類に対し、より有効な「医学」・「医療」を提供するための礎となる論を推し進めることが本文の目的である。

     そのためには、古代中国人の思想を検討する必要があると考える。まず、「古代」の時代区分を何時にするかという点について、私見を述べる。時代区分については、見解が様々である。

     主に、「中国歴史学」・「中国思想史」・「中国医学史」の立場でそれぞれ異なっている。

     第一に、「中国歴史学」の時代区分では、古代・中世・近世という三分法がとられることが多い。宮崎市定は、三分法にも三種の別があると述べている。その1は「古代=上古~戦国末、中世=秦漢~明末、近世=清初~現代」とする守屋美都雄の説である。

     その2は「古代(あるいは上古)=太古~後漢、中世(あるいは中古)=後漢~五代、近世=宋以降」とする内藤湖南の説である。

     その3は「古代=上古~唐末、中世=宋~明末、近世=明末~現代」とする説である。この説は、前田直典氏が昭和二三年に「東アジアにおける古代の終末」なる論文を発表したのが最初とされている。

     このほか、桑原隲蔵や那珂通世が提唱した四分法がある。それは「上古=太古~戦国末、中古=秦漢~唐末、近古=五代・宋~明末、近世=清以降」とする説である。

     宮崎は「古代=太古~漢代、中世=三国末~唐末・五代、近世=宋~清代、最近世=民国以降」なる区分を唱えている。整理すると、「中国歴史学」おける古代の下限は、1.戦国末とするもの、2.後漢末とするもの、3.唐末とするものが大方の見方のようである。

    (つづく)
      


  • 中国医学の根源はどこにあるのか

    2011年02月17日

     4回にわたり、近代における日本と中国の医学・医療の歴史を振り返りました。話の内容はとても固く、興味のない方にはまるっきりおもしろくない話だと思いますが、毎日コンスタントに10人前後の方よりアクセスしていただいていることに驚いています。

     今日からは、近代の鍼灸治療のもとになった中国思想とはいったい何なのかを論じてみたいと思います。

     その前に、「近代」を何時と捉えるのかを言っておりませんでしたが、日本は明治期以降を想定してお話ししております。

     これから話を転じるのは、中国古代についてです。「古代」を何時とするのかを含めて、話を進めて参ります。

     【本文】

     「医療」を施すためには、身体の異常をどのように捉えるかが問題になる。

     「身体を分析すること」を「医学」だと定義するなら、「医学」と「医療」は一体でなければならない。

     「西洋の医療」は、「医学」に基づいて「医療」を構築してきた。そのため、「医学」と「医療」は比較的一致しているが、逆に医学が確立されていない「病気」に對し、「医療」を発展的に行うことが出来ないなどの弊害が生まれて来ている。

     これに対し、「中国の医学」は、「医療」が優先的に行われ、「医学」の構築が十分に行われて来なかった面がある。

     現状では、「医学」に基づいて「医療」を行っているとは言い難い。

     「医学」と「医療」に整合性が無いからである。

     しかし、古来より健康を逸脱したヒトを「病気」になったと捉え、「鍼灸治療」や「湯液治療」等の「医療」を「病人」に行って来たそれらの方法は極めて有効である。

     「医学」の構築が不十分であるにもかかわらず、有効な「医療」を生み出した根源は何処にあるのだろうか。

     もしあるとしたら、それはどんな点なのか素朴に知りたいところである。

    (つづく)

    平成23年2月17日(木)
     清野充典 記