中国における「医」の呼称についての歴史
2011年02月10日
平成23年1月17日に、「中国における「医」の呼称についての歴史」について論じましたが、今日は中国についてです。比較して読んでいただければ、日本と中国の違いがよくお分かりになることと思います。東洋医学の専門家や文学者でないと難しい内容かと思いますが、ゆっくり時間をかけて歴史を楽しんでいただければ幸いです。
【本文】
中国における鍼灸治療・湯液治療に対する呼称は日本同様変遷している。
中国地方では、清朝まで「医」と呼称していた。
清朝の末期に当たる一九世紀末頃より、「中国医学」と呼ぶようになる。
「中国医学」の語彙は『中國圖書聯合目録』に拠ると、清の唐宗海が清光緒二一年・一八九五年に書いた『中國醫學入門』上海書局石印本が初出である。
「中国」の名稱が「中華民国」の略称として普及すると共に、一九三〇年頃から急速に「中国医学」が用いられるようになった。
ただし、中華民国は、「国医学」と呼んでいた。
中華人民共和国になり、「中医学」と呼ぶようになった。
一九六六年~一九七六年の文化大革命時代は「祖国医学」と呼んでいる。
一九七七年より再び「中医学」と呼称するようになる。
一九八〇年代に入り「中西医結合」をスローガンに「中医学」と「西医学(西洋医学のこと)」の結合を計り、第三の医学確立を目指すが、一九九〇年代半ばに研究が頓挫する。
その後「中医学」を世界に普及することを目的に方向転換し、現在は国外に対して呼称している「Traditional Chinese Medicine」を「中国伝統医学」と呼称し、「中医学」と併用している。
以上のことから、中国で行われてきた医学・医療を呼称するにあたり、適切な名称が無いことが解る。
中国で行われてきた医学に対する呼称をあえて論じてきたのは以上の理由による。
(つづく)
平成23年2月10日(木)
清野充典 記
(ただいま 6日に一度更新中)
【本文】
中国における鍼灸治療・湯液治療に対する呼称は日本同様変遷している。
中国地方では、清朝まで「医」と呼称していた。
清朝の末期に当たる一九世紀末頃より、「中国医学」と呼ぶようになる。
「中国医学」の語彙は『中國圖書聯合目録』に拠ると、清の唐宗海が清光緒二一年・一八九五年に書いた『中國醫學入門』上海書局石印本が初出である。
「中国」の名稱が「中華民国」の略称として普及すると共に、一九三〇年頃から急速に「中国医学」が用いられるようになった。
ただし、中華民国は、「国医学」と呼んでいた。
中華人民共和国になり、「中医学」と呼ぶようになった。
一九六六年~一九七六年の文化大革命時代は「祖国医学」と呼んでいる。
一九七七年より再び「中医学」と呼称するようになる。
一九八〇年代に入り「中西医結合」をスローガンに「中医学」と「西医学(西洋医学のこと)」の結合を計り、第三の医学確立を目指すが、一九九〇年代半ばに研究が頓挫する。
その後「中医学」を世界に普及することを目的に方向転換し、現在は国外に対して呼称している「Traditional Chinese Medicine」を「中国伝統医学」と呼称し、「中医学」と併用している。
以上のことから、中国で行われてきた医学・医療を呼称するにあたり、適切な名称が無いことが解る。
中国で行われてきた医学に対する呼称をあえて論じてきたのは以上の理由による。
(つづく)
平成23年2月10日(木)
清野充典 記
(ただいま 6日に一度更新中)
Posted by 清野充典 at 12:54│Comments(0)
│中国の「醫」の呼称の歴史
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